◆かつて関内周辺は海であった。現在の大岡川と中村川に囲まれた一帯は入り江であり、久良岐郡横浜村はこの入り江の先に突き出た宗閑(洲乾・洲干)嶋と呼ばれた砂州上に形成された寒村であった。江戸時代にこの入り江は吉田新田として埋め立てられ現在のような陸地となり、更に海側の現在の関内地区に相当する場所には横浜新田や太田屋新田が埋め立てにより造成された。そのためこれらの地区の道路は碁盤の目状に整備されており、町名も古来からの物ではなく、埋め立てに関わった人物に因むもののほか、埋め立てた当時の謡曲や百人一首から取られた綺麗な町名、縁起のいい町名(瑞祥地名)が多く付けられている。 近代化が進むにつれ関門の存在意義が薄れ、やがて廃止されたが、長年の慣習と名残りで今もこの辺りを「関内」と呼んでいる。また、今の伊勢佐木町辺りは関門の外、「関外」と呼ばれた。現在関内と名が付いているものは、JR・横浜市営地下鉄の関内駅、関内ホール(横浜市市民文化会館)のみである。(民間施設は除く) キングの塔(神奈川県庁本庁舎)・クイーンの塔(横浜税関)・ジャックの塔(横浜市開港記念会館)は、地元では「横浜三塔」と呼ばれ、横浜港のシンボルとして長年市民に親しまれている。